私の人生を変えてくれたパン屋さんその3

kaseru

2019年07月16日 10:48

今回は私がどういういきさつでパン屋になったかの五回目です。

前回の記事で『ぐーちょきぱん』さんで見学させていただいたことでパン屋になる決心がついたとの記事を書きました。

2019/07/11

こうなったらいよいよ修行先となるパン屋さん探しの始まりです!
浜松市内はもちろん、通えそうな豊橋や磐田も含めて、当時あるすべてのパン屋さんを回りました。

何件か候補となるパン屋さんはあるのですが、そもそも雇うつもりがなかったり、もう一歩踏ん切りがつかなかったりと、修行先探しは難航します。
一世一代の大勝負に出るわけですから、不安や迷いのない場所で修行したいと思うのは当然のことです。

そんな私の悩んでいる姿を見かねたからか、家内の口から意外な言葉が飛び出します。
「浜松で見つからないなら、東京でもフランスでも行って来ればいいじゃん!」

正直自分の耳を疑いました。
脱サラするだけでも家族に迷惑をかけるのに、まさか家族を置いて自分だけ修行に行くということは無理なことと思っていました。
ですが家内はそれを許してくれたのです。

娘も生まれて間もなかったので家族と離れることは私にとってもつらいことでしたが、中途半端なことをしても仕方がありません。
ということで東京でもパン屋さんを探してみることにしました。
さすがに東京は全部のパン屋さんを回ることはできないので、いろいろな雑誌などを見てよさそうだと思う10件に絞って回りました。

結果、自分でも意外だったのですが、残念ながらこれだというパン屋さんに巡り合うことはできませんでした。
当時雑誌を賑わせていた超有名店でさえ、食べたパンに感動を覚えることはありませんでした。
私が期待しすぎていたというのももちろんありますが、無礼を承知で言わせていただきますと、むしろあれっ?というパン屋さんも多かったように思います。

東京に行けば修行先が見つかると信じていただけに、正直途方にくれました。
いよいよこれはフランスに行くしかないかと思ったその矢先でした。
家内が「高山に有名なパンさんがあるよ。行ってみる?」というのです。
修行先探しが難航しちょっと疲れも出てきたところなので、気分転換がてら旅行もかねて高山に行ってみることにしました。

そのパン屋さんは後に私の修行先となる『トラン・ブルー』です。

(画像はトラン・ブルーHPより拝借しました。)

トラン・ブルーでパンを買って宿で食べたのですが、その時の様子は今でも鮮明に覚えています。
私にとって“衝撃”以外の何物でもありませんでした。
私の中のおいしい、おいしくないの基準が破壊され、頭の中の想像をはるかに超えたところに「おいしいパンとはこういうものだ!」という基準をドーンと埋め込められた気がしました。
あっという間にパンを平らげて、最後は家内と取り合いになったほどです。(笑)

帰るころにはすっかりトラン・ブルーで働く気満々です。
家内も私が決めたならと納得してくれました。
感謝です。

興奮も冷めやらぬ中、翌日早速トラン・ブルーに電話をしました。
働かせていただきたい旨を伝えると、「今おいくつですか?」と聞かれます。
「三十四歳です。」と答えるや否や「その歳だとちょっと...。うちじゃ無理ですね。」とバッサリ...。
こちらもやすやすとは引き下がれないので、「そこを何とかお話だけでもさせてもらえないでしょうか。」と食い下がります。
こちらのしつこさに観念したのでしょうか(笑)、「じゃ、話を聞きましょう。」となったのです。

何とかチャンスをもらうところまでこぎつけました。
このチャンスを絶対にものにしなくてはいけません。
ここである秘策が思い浮かびます...。

だいぶ話が長くなりましたので、この続きはまた今度にしますね。

(トラン・ブルーはすっかりご無沙汰のシェフです。また行きたいなぁ。)



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